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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)6091号 判決 1978年5月19日

東京都江戸川区江戸川四―二三

原告 羽生雅則

<ほか四四四名>

右原告代理人弁護士 遠藤誠

同 郡司宏

同 小山三代治

同 青山揚一

同 塩谷国昭

東京都江戸川区中央一丁目四番一号

被告 江戸川区

右代表者区長 中里喜一

<ほか四名>

右被告ら全員(池村を除く)代理人弁護士 伊沢英造

同 人見哲為

同 海法幸平

同 高村民昭

同 野上泰弘

同 矢野欣三郎

同 露木茂

同 上野操

主文

1  被告江戸川区は別表(一)および(二)記載の原告らに対してそれぞれ金二〇〇〇円および各金員に対する昭和四七年七月二三日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

2  別表(一)および(二)記載の原告らの被告江戸川区に対するその余の請求、同原告らの被告江戸川区を除くその余の被告らに対する各請求、同表(三)記載の原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、別表(一)および(二)記載の原告らと被告江戸川区との間においては、同原告らに生じた費用の二分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、同原告らと被告江戸川区を除くその余の被告らとの間および同表(三)記載の原告らと全被告らとの間においては、すべて全原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自原告羽生雅則に対して金五万円、その余の原告らに対してそれぞれ金一万円および各金員に対する昭和四七年七月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者双方の地位立場について

(一) 原告らは、区長の準公選制を内容とする後記2(三)の条例(以下「区長準公選制条例」という)の制定を請求(以下「本件直接請求」という)するための後記2(三)および(四)の住民運動をなした当時、いずれも右請求の権利(地方自治法第二八三条第一項、第七四条第一項・第四項所定)を有していた被告江戸川区(以下「被告区」という)の住民であり、それぞれ別表(一)ないし、(三)記載の立場で本件直接請求に携ったものである。

(二) 被告区を除くその余の被告四名(以下「被告四名」という)は、前記住民運動がなされた当時、いずれも被告区の選挙管理委員会の委員であり、そのうち被告池村憲次(以下「被告池村」という)は右委員会の委員長として、同被告を除くその余の被告三名(以下「被告三名」という)は右委員会の委員として、後記2(五)のとおり、それぞれ本件直接請求の代表者である原告羽生雅則(以下「原告羽生」という)から同委員会に提出された署名簿の署名の審査・署名の効力の決定およびその旨の証明(地方自治法第二八三条第一項、第七四条の二第一項所定)にあたったものである。

2  本件直接請求の動向等について

(一) 特別地方公共団体である特別区(東京都二三区)の区長は、昭和二七年法第三〇六号による改正後の地方自治法(以下「旧法」という)が施行されてから昭和四九年法第七一号による改正後の同法が施行されるまで、特別区の議会の議員の選挙権を有する者で年齢満二五年以上のものの中から、特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任するもの(旧法第二八一条の三第一項)とされ、右選任につき特別区の議会は、予め特別区の区長の候補者を定め、文書を以て都知事の同意を得なければならないこと(旧法施行令第二〇九条の七第一項)とされていた。

(二) これに対して、旧法の定める区長の選任方法(間接制)は、「地方公共団体の長……は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」と定めた憲法第九三条第二項(直接制・公選制)に違反するとの意見が高まり、かつ昭和四一年練馬区では区政は政争と腐敗の極に達し区長辞任のまま事態が生まれた。そうした状況の中で昭和四二年に練馬区の住民有志により「区長を選ぶ練馬区民の会」は、前記選任方法における区長の候補者を決定するに、住民の意思を反映するため、旧法のもとで右候補者を区民の選挙により選出しこれを区議会が選任する方法(以下「準公選制」という)を考え出し、これに関する手続を定める区条例の制定を直接請求により求めようとした。ところが区政担当者は窓口却下の措置をとったので、右請求代表者が訴訟を提起し、東京地方裁判所および東京高等裁判所の各判断(東京地裁昭和四二年(行ウ)第二一三号行政処分取消請求事件・昭和四三年六月六日判決、東京高裁昭和四三年(行コ)第三二号行政処分取消請求控訴事件・昭和四三年一一月二八日判決)により、「準公選制」の合法性を確認せしめた。また、昭和四六年六月頃中野区の区議会は右準公選制を内容とする条例を可決(再議に付されはしたが)するに至り、以後他の特別区の住民に右準公選制の採用(区長公選の復活)を求める動きが急激に広まっていった。

(三) 昭和四七年三月一四日に区長の改選を迎える被告区の住民も、練馬区・中野区の例にならい、区長の準公選制を内容とする条例(区長準公選制条例)の制定を請求(本件直接請求)するため、昭和四六年一二月一五日「区長を選ぶ江戸川区民の会」を結成し、以後右本件直接請求に必要な住民運動を開始した。

(四) まず、昭和四七年一月七日原告羽生は、被告区の当時の区長中里喜一に対して本件直接請求の代表者としてその旨の証明書の交付を申請し、同月一〇日同区長から右証明書の交付およびその旨の告示を受け、同日以降原告らのうち受任者である原告ら(別表(一)ないし(三)記載参照)と共に右請求に必要な住民の署名捺印の募集活動をなし、その結果募集期限(右区民の会のスケジュールとして定められた)の翌二月一〇日までに同原告らおよびその余の原告らを含む総計六万八三九三名(因みに本件直接請求に必要な人数は六二七三名)の署名捺印を得ることができ、同月一五日右署名の証明を求めるため被告区の選挙管理委員会に対して右署名簿(冊数にして二五一七冊)を提出した。

(五) これに対して、被告区の選挙管理委員会は、前同日署名簿の署名の審査を開始し、同日(昭和四七年二月一五日)から六七日間(初日を含む)を経過した同年四月二一日右審査を終了し、署名総数六万八四一七名・内有効数四万七一五八名・内無効数二万一二五九名と署名の効力を決定し、その旨を告示公表(証明)した。

(六) ところで、地方自治法第七四条の二第一項によれば、選挙管理委員会は条例制定請求の代表者から署名の証明を求められた日から二〇日以内にその審査を行い、署名の効力を決定し、その旨を証明しなければならないと規定されているので、被告区の選挙管理委員会が前記のとおり、代表者である原告羽生から署名の証明を求められた日から六七日後に署名の審査等を了したことは、右地方自治法第七四条の二第一項所定の審査期間を徒過していること(以下「審査の遅れ」という)は明らかである。

3  審査の遅れの違法性について

(一) 原告らの本件直接請求のための前記2(三)および(四)の住民運動は、昭和四七年三月一四日に当時の区長中里喜一の任期が満了することから、その改選がなされるまでに(なお、被告区の区議会では、前区長の任期満了後新区長の候補者の決定方法について話し合い、これにより候補者を決めていたので、前区長の任期満了により直ちに新区長が選任されることはなく、改選までには右任期満了以後右話し合いがなされるまでの一定期間を必要としたので、それまでに)、本件直接請求をなし、区長に区議会へ区長準公選制条例を付議させる目的で展開されたものであり、被告区の選挙管理委員会が地方自治法第七四条の二第一項所定の審査期間に署名の審査等を了していれば、その後の署名簿の縦覧期間を含む法定期間を考慮しても、新区長の候補者の決定方法についての話し合いがなされている頃には、代表者である原告羽生から区長(あるいはその職務代理)に対して本件直接請求がなされ、これを受けた区長(あるいはその職務代理)から区議会に区長準公選制条例(案)が付議される予定であった。即ち、前記準公選運動は、昭和四七年三月一四日に任期を満了する江戸川区長の後任区長を、準公選制により選出するという特定の明確な目標をもって進められたものである。

(二) しかし、被告区の選挙管理委員会に審査の遅れがあったために、代表者である原告羽生が右委員会から昭和四七年五月一二日に署名簿の返付を受け、同月一六日に本件直接請求をなしたときには、既に新区長が選任されており、原告らが本件直接請求をなした所期の目的は達せず、原告らの右請求の権利は実質的には否定(侵害)される結果となった。

(三) 地方自治法第七四条の二第一項の審査期間の定めは、行政組織内部の規律にとどまるものではなく、住民の権利(直接請求権)と直接に関連し、右住民の権利関係に重大な影響を及ぼす点よりして、行政機関(選挙管理委員会)と住民(代表者および請求者)との間の法律関係(署名の証明)を規律するものであるから、右定めは強行規定であり訓示規定と解すべきではない。

(四) 従って、被告区の選挙管理委員会は、原告羽生(請求者の代表者)が署名の証明を求めた昭和四七年二月一五日から二〇日以内にその審査等をなすべき義務があったのであり、その委員である被告四名がそれを認識しもしくは少しの注意を払えば認識しえたにも拘わらず、審査の遅れをもたらし原告らの本件直接請求の権利を侵害したことは違法というほかない。

(五) 仮に右地方自治法の定めが強行規定でないとしても、

(1) 被告区の選挙管理委員会では、昭和四七年二月一五日に右原告羽生から署名の証明を求められ、同日から委員会での審査の準備作業として、同委員会の事務局で、署名簿からカードへの署名等の転記・当該カードの分類整理・署名の疑義(無効あるいはその疑い)の調査・署名と選挙人名簿との照合・有効署名カードの整理・疑義署名カードの調査等を開始し、同月二一日までに右準備作業を終了し、同月二二日から委員会で本格作業を開始する段階を迎えた。

(2) そこで、その委員であった被告四名は、先ず署名の審査方法について抽出方法によるか全部審査方法によるべきかを討議したのであるが、前者を主張する被告三名と後者を主張する被告池村とで意見の対立をみ、しかも、これが感情的な対立にまで発展し日数を経過して、原告らから再三に亘り署名の審査を促進すべく要請を受けていたにも拘わらず、翌三月二日まで全く署名の審査を怠たっていた。

(3) また、被告四名が三月二日に決定した署名の審査方法は全部審査方法であったが、右審査方法は、従来、他の選挙管理委員会および被告区の選挙管理委員会が慣行的に採用していた抽出方法に反するばかりでなく、前記事務局での準備作業の成果や本件直接請求の署名数の多さ(約六万八三九三名)や前記法定期間の残存期間が少くなっていることを考えれば、到底採用しえないものであった。

(4) 右経緯によれば、被告区の選挙管理委員会が審査の遅れをもたらした原因は、審査のために止むを得なかったからではなく、その委員である被告四名が職責を放棄し、また審査方法につき裁量の範囲を超えた全部審査方法を用いたことに求められるのであり、被告四名はその際審査の遅れにより本件直接請求の目的が達せられなくなることを認識していたかもしくは少しの注意を払えば認識しえたものである。

(六) 従って、被告区の選挙管理委員会が審査の遅れにより原告らの本件直接請求の権利を侵害したことは違法なものというべきである。

4  原告らの蒙った損害について

(一) 原告らは、別表(一)ないし(三)記載のとおり、本件直接請求の代表者・受任者あるいは署名者として右請求に関与したものであり、代表者である原告羽生は、区長準公選制条例(案)の検討・起草から住民会合の手配・進行、本件直接請求の手続処理、あるいは選挙管理委員会に対する署名審査促進の要請まで各種の労苦を払い、受任者である原告らは、署名募集期間、日々努力して署名の募集活動なし、また、署名者である原告らも条例(案)の制定を心から希求して署名したものである。

(二) しかるところ、前記3(一)および(二)のとおり、審査の遅れにより本件直接請求の目的(区長の改選時期までに区長準公選制条例を区議会に付議させること)等を達せず、右請求の権利が実質的に否定されたことにより、原告らはいずれも多大の精神的苦痛という損害を蒙ったものであり、右精神的苦痛を慰藉するに足る金員としては、代表者である原告羽生において優に金五〇万円を、受任者あるいは署名者であるその余の原告らにおいて優に各金二〇万円を下らないというべきである。

5  被告らの損害賠償責任について

(一) 被告区の選挙管理委員会の委員である被告四名が、前記3(三)ないし(六)のとおり、違法に審査を遅らせたことは、被告区の公権力の行使にあたった被告四名が、その職務を行なうについてなしたものである。

(二) 従って、被告区は国家賠償法第一条第一項に基づいて、原告らに対して原告らが違法な審査の遅れにより蒙った前記4の損害を賠償すべき責任がある。

(三) また、公務員がその職務を行なうにつき違法に他人に損害を与え、しかも、右加害行為が当該公務員の故意または重大な過失によりなされたときには、公務員個人も民法第七〇九条に基づき、他人に対して損害を賠償すべき責任を免れないと解すべきところ、本件において違法に審査が遅れたのは、前記3(四)あるいは(五)の(4)のとおり、その審査にあたった被告四名の故意または重過失によるものであった。

(四) 従って、被告四名は民法第七〇九条(第七一九条)に基づき、それぞれ原告らに対して前記4の損害を賠償すべき責任がある。

6  むすび

よって、原告らは被告ら各自に対して、前記4の損害のうち原告羽生につき内金五万円、その余の原告らにつきそれぞれ内金一万円および昭和四七年七月二三日(訴状送達の翌日)から完済に至るまでいずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告区および被告三名の認否)

1 請求原因1について

(一) 同(一)の事実中、別表(一)および(二)記載の原告らが本件直接請求の権利を有していた住民であること、同表(一)記載の原告らがその主張のとおり(代表者もしくは受任者として且つ署名者として)の立場で右請求に携ったことおよび同表(二)記載の原告らがその主張の立場のうち署名者として右請求に携ったことはいずれも認めるが、同表(二)記載の原告らがその主張の立場のうち受任者として右請求に携ったことおよび同表(三)記載の原告らが右請求の権利を有する住民であったことは、いずれも否認する。

(二) 同(二)の事実は認める。

2 請求原因2について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は知らない。

(三) 同(三)の事実は知らない。

(四) 同(四)の事実は認める。

(五) 同(五)の事実は認める。

(六) 同(六)の事実は認める。

3 請求原因3について

(一) 同(一)の事実は、本件直接請求のための住民運動の目的が原告ら主張のとおりであったかを除き、これを認める。右住民運動の目的の点については知らない。

(二) 同(二)の事実は、原告らが本件直接請求をなした目的を達せず、その請求の権利が実質的に否定された点を除き、これを認める。右目的を達しなかった点と請求の権利が否定されたとの点については否認する。

因みに、本件直接請求が昭和四七年五月一六日になされたので、被告の区長(新区長)は、同月二九日区議会に右請求に係る区長準公選制条例(案)を付議している。

(三) 同(三)の主張は争う。

地方自治法第七四条の二第一項の定めは訓示規定と解すべきであり、これにより被告区の選挙管理委員会がその法定期間内に署名の審査等を了すべき義務は生じない。

(四) 同(四)の事実は否認する。

(五) 同(五)の事実のうち、

(1)の事実は認める。

(2)の事実は認める。

(3)の事実中、全部審査方法が採用しえないものであったとの点は否認し、その余の点は認める。

(4)の事実は否認する。

因みに、被告区の選挙管理委員会の審査が遅れたのは、署名数の多さやその審査に際して正確を期するため全部審査方法を用いたことから考えて、止むを得ないところであるし、右委員会では、東京都の選挙管理委員会に審査期間の趣旨につき照会し、その結果右審査期間を遵守できなくとも止むを得ないとの回答を受けているのであって、この点からしても止むを得ないというべきである。また、右審査方法を採用したのも、右のとおり、審査の正確を期するうえでは相当である。いずれにしても、審査が遅れた原因は、被告区の選挙管理委員会が審査に際して認められた裁量内の措置によっているのであって、これが不当であるとしても、違法ということはできない。

仮に審査の遅れが違法であるとしても、その原因は、被告池村が審査方法について原告らが問題にしている全部審査方法によるべきと主張し、被告三名の抽出方法によるべきとの主張に反対したこと等にあり、少なくとも被告三名には原告ら主張の故意または重過失はない。

(六) 同(六)の主張は争う。

4 請求原因4について

(一) 同(一)の事実中、原告らの立場についての認否は前記1(一)のとおりであり、その余については知らない。

(二) 同(二)の事実は否認する。

本件直接請求の目的は、区長の改選時期(前区長の任期満了後、区議会が新区長の候補者の決定方法につき話し合っている期間)に本件直接請求をなし、区長(あるいはその職務代理)から区議会に区長準公選制条例(案)を付議させることにより、区長の不在期間を長期化させて区議会を混乱させるとの不当なものであったのであるから、その目的が達しなかったからといって、慰藉されるべき精神的苦痛はないはずである。

仮に、精神的苦痛があったとしても、その原因は選挙管理委員会の委員が住民の付託にこたえていないということに帰着するのであるから、その救済は地方自治法の定める法的手段に委ねるべきであり、これを金銭賠償するのは相当でない。

5 請求原因5について

(一) 同(一)の事実中、違法に審査を遅らせたとの点は否認し、その余の点は認める。

(二) 同(二)の主張は争う。

(三) 同(三)の主張は争う。

(四) 同(四)の主張は争う。

6 むすびについて

争う。

(被告池村の認否)

1 請求原因1について

同(一)および(二)の事実は認める。

2 請求原因2について

同(一)ないし(六)の事実は認める。

3 請求原因3について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の主張は争わない。

(四) 同(四)の事実中、被告池村に故意または重過失があるとの点は否認し、その余の点は知らない。

(五) 同(五)の事実のうち

(1)の事実は認める。

(2)の事実中、被告池村が署名の審査を怠っていたとの点は否認し、被告三名が右審査を怠たったとの点は知らない。その余の点は認める。

(3)の事実中、全部審査方法が採用しえないものであったとの点は知らないが、その余の点は認める。

(4)の事実中、被告池村に故意または重過失があるとの点は否認し、その余の点は知らない。

(六) 同(六)の主張は争う。

4 請求原因4について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実中、原告らの精神的苦痛およびそれを慰藉するに足る金員の点については知らないが、その余の点は認める。

5 請求原因5について

同(三)および(四)の主張は争う。

6 むすびについて

争う。

第三証拠《省略》

理由

第一原告らの被告区に対する請求について

一  前提となる事実関係

1  原告らのうち、別表(一)および(二)記載の原告らについては、同人らが本件直接請求の権利を有する被告区の住民であり、且つ少なくとも現に右請求のため署名したものであることは当事者間に争いがない。同表(三)記載の原告らについては、同人らが右請求のため署名したかは暫く措き、同人らが右請求の権利を有していたこと、即ち、公職選挙法第二二条の規定による選挙人名簿の登録が行なわれた日において選挙人名簿に登録されていたこと(地方自治法第二八三条第一項、第七四条第一項・第四項)を認めるに足る証拠は存しない。

ところで、原告らの本件請求は、本件直接請求の権利が、実質的には審査の遅れによって違法に侵害されたことを理由とするものである。そうだとすれば、右請求の権利を有していたと認められない別表(三)記載の原告らに対する関係では、同人らには侵害されるべき権利自体がなくまた審査の遅れを云々する余地も存しないのである以上、同人らの本件請求は、爾余の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。

そこで、以下においては、右原告らを除いたその余の原告ら(即ち、別表(一)および(二)記載の原告ら)に対する関係で、本件請求に対する判断を進めることとする(なお、後に、単に「原告ら」と表示するのはかかる意味においてである)。

2  まず、被告四名が被告区の選挙管理委員会の委員であり、且つ本件直接請求のためになされた署名の審査・署名の効力の決定およびその旨の証明にあたったものであることは、当事者間に争いがない。

3  さらに、実際になされた被告区の選挙管理委員における本件直接請求のための署名の審査が昭和四七年二月一五日から同年四月二一日まで要し、地方自治法第七四条の二第一項に定める二〇日の期間内になされなかったこと(即ち、原告らの主張する「審査の遅れ」があったこと)も、当事者間に争いがない。

4  そこで以下において、右審査の遅れが違法なものであったか、違法であるとすれば被告区に原告らに対する損害賠償責任が生ずるものであるかについて、検討を加えることとする。

二  審査の遅れの違法性

1  原告らは、「前記地方自治法の審査期間の定め(第七四条の二第一項)は強行規定であり、右期間を経過することはそれ自体で違法となる」旨主張する。しかしながら、右審査期間の定めは、審査の遅延を防ぐために、右期間(二〇日)を通常の審査に要する相当期間として、選挙管理委員会に対して同期間内に審査を了すべしとの訓示的趣旨で定められたものと解するのを相当とし、従って、選挙管理委員会の右審査が右期間を経過したとしても直ちにこれをもって違法であるとはいえず、審査にあたる選挙管理委員会には、現実の審査につき相当期間内に了するため如何なる手段を講ずべきか等につき裁量権限が与えられているというべきである。されば、現実の審査に遅れがあったとしても、その審査が右裁量の範囲内で、且つ相当の期間内に了しているのであれば、これをもって違法ということはできない以上、原告らの右主張は採用できないものというべきである。

2  次に原告らは、「本件における審査の遅れが被告区の選挙管理委員会の委員である被告四名が前記裁量権限を逸脱したことに原因している。」旨を主張するので、この点につき検討する。

《証拠省略》を総合すれば、

(一) 被告区の選挙管理委員会では、昭和四七年二月一五日、本件直接請求の代表者である原告羽生から署名簿二五一七冊(署名数約六万八三九三名)につき署名の証明を求められた(この点は当事者間に争いがない)のであるが、直ちに同委員会の事務局において審査の準備作業(請求原因3(五)(1)記載のそれ)を行わせたこと。

(二) 右事務局での準備作業は同月二一日(初日から六日目、初日を含めて七日目)に終了し、翌二二日事務局から委員会へその旨の報告がなされ、同日、その委員である被告四名は委員会における審査方法について協議をなしたこと。

(三) ところが右協議において、委員長である被告池村は署名の全部を審査すべしと、他の委員である被告三名は署名の一部を抽出して審査すべしと主張したところから、意見が対立しその一致に至らず、被告池村は委員会を閉会したこと。

(四) 次いで同月二五日に再開された委員会で、被告池村は突然に辞意を表明し、これがために右委員会は再び閉会されたこと。

(五) その後、「区長を選ぶ江戸川区民の会」からの要望もあって、翌三月一日委員会が再開され、被告池村は先に表明した辞意を撤回し、翌二日審査方法につき被告三名の主張する抽出方法によることを了解したこと。

(六) ところが今度は、被告三名が前言を翻して全部審査方法によるべしと主張するに至り、結局は被告四名が全部審査方式によって署名の審査にあたることに意見が一致し、翌三日から委員会における審査を開始し、署名審査は四月二一日に終了した(この点は当事者間に争いがない)こと。

以上の事実を認定することができ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。加えて、弁論の全趣旨に徴すれば、被告区の選挙管理委員会も他の選挙管理委員会も、右のような審査を行うについては、従来慣行的に抽出方式を採用していたことが認められるところである。

右認定事実に鑑みれば、本件において審査が遅れたのは、被告四名の間に審査方法をめぐり意見の対立があったというだけではなく、これを契機として、自己の意見が容れられなかった被告池村が、委員会を閉会し剰え辞意を表明してまでも自己の意見に固執し、また被告三名も、被告池村が自己の意見を捨て被告三名の意見に従う段に至って、前言に反して被告池村の主張していた意見を唱えるというように、被告四名のいわば恣意的な考えの対立より従来と異なる全部審査方法が用いられたことに帰因因していると認めるほかない。

3  被告区は、本件における審査の遅れは、署名数の多さまた審査の正確性からして、止むを得なかったものであると反論する。

勿論本件における署名数約六万八三九三名というのは本件直接請求における最低の必要数(これが六二七三名であることは当事者間に争いがない)に比較して著しく多いということはできる。しかし前記説示のとおり、このような審査については、従来は抽出方式によっていたものであって、これによることが不適切なものとはいえず、この方法を用いれば右の署名数の多さを強いて問題にすることはないし、事務局における準備作業すら実際には七日間で済んでいることからしても、抽出方法によったならば、かなり速やかに(しかも、前記の二月二二日から三月二日までの一〇日間に審査をしたならばさらに速かに)審査を終了しえたものといわざるを得ない。にも拘わらず、敢て従来の慣行に反してまで全部審査方法を用いるというのは、事務局での七日間に亘る準備作業の成果をいわば無にすることにもなりかねないし、本件において、決して相当な審査方法であったとはいいえないものである。しかも、全部審査方法を用いた原因は、前述のとおり被告四名の恣意的な考えの対立による以外の何ものでもなく、これが審査の正確性を期するうえで用いられたと認めるべき余地はないものである以上、右被告の反論は採用の余地がないものである。

4  してみると、被告区の選挙管理委員会の委員である被告四名の前記恣意的措置は、前記審査にあたり許される同委員会の裁量権限を逸脱していることは明らかであり、本件における審査の遅れは違法なものと評すべきである。

三  損害賠償請求の可否

1  原告らは、昭和四七年三月一四日に改選を迎える被告区の区長の改選がなされるまでに区長準公選制条例を区議会に付議させることが本件直接請求の目的であったから、その時期までに右付議ができなかったことにより、右請求の権利が実質的に否定された旨を主張する。

ところで、条例の制定の請求は、その請求に係る条例(案)を議会に発議(付議)することに制度的な意義があり、右発議(付議)がなされれば、その請求の権利は行使の目的(意義)を達したというべきであり、その発議(付議)の時期如何により請求の効力が左右されるものでない以上、請求者が意図していた時期のとおりに発議(付議)がなされなかったからといって、その請求の権利が実質的に否定されたとまで解することはできない。

しかるところ、本件直接請求を受けて昭和四七年五月二九日に被告区の区議会に区長準公選制条例が付議されたことは弁論の全趣旨から明らかである。その際、既に新区長が選任されていたことは当事者間に争いないところである。ところで、本件直接請求に基づき新区長の選任前に区議会に区長準公選制条例が付議されることにより、新区長の選任自体が不可能となるような法的効果が与えられると仮定するならば、新区長の選任後になされる右付議の遅れにより右法的効果が生じなくなるので、時期に遅れた付議では本件直接請求の目的を達しえないといいうることができるかもしれないのである。しかしながら、条例案の付議に右法的効果が認められないことは地方自治法の定めからして、明らかである以上、本件においては昭和四七年五月二九日に区長準公選制条例が付議されたことにより、本件直接請求の目的自体は達したというほかない。されば、この点に関する原告らの主張は肯認できないものである。

2  しかしながら、本件直接請求のための署名の審査について、前記説示のとおり被告区の選挙管理委員会が相当期間内にこれを了すべきものである以上、請求のための署名をしたもの(勿論その権利を有していることを前提とする)は右相当期間内にその審査を受ける権利ないしは利益があるというべきであり、しかも、右審査の効力について法(地方自治法第七四条の二第七項・第八項)が請求者に対して一定の不服申立を定めていることからしても、右権利ないしは利益についてもこれは法の保護に値するものというべきである。

従って、本件における審査の遅れが、本件直接請求の権利自体を奪うものでないことは前述のとおりであるが、これが請求者の有する右権利ないしは利益を奪ったことは明らかであり、右審査をなした被告四名が、その遅れにより請求者のかかる権利ないしは利益を奪う結果になることを認識しえたことは、前記二2(一)ないし(六)の事実に徴すれば、これを推認するに難くはない。而して、原告らの前記主張は、(かかる意味にも解釈しうるのでかく解釈すれば)これを採用することができるというべきである。

してみると、被告区は、その公権力の行使にあたった被告四名(この点は当事者間に争いがない)の右加害行為により、本件直接請求をなした者(その権利を有し且つ、署名したもの)に対して相当期間内に署名の審査が受けられなかったことにより蒙った損害があれば、これを賠償すべき責任がある。

3  この点について、被告区は、審査の遅れによってもたらされた不利益の救済は、地方自治法の定める法的手段によるべきであり、これを金銭賠償により解決するのは相当でないと反論する。

なるほど、本件における審査の遅れは、人格高潔、政治・選挙に関し公正な識見を要求される選挙管理委員会の委員である被告四名が委員としてとるまじき恣意的な措置をとったことに要因しており、その究極的・将来的解決は、住民の参政権の行使に委ねられるべきことではあるといえる。

しかし、既にもたらされた不利益の救済は、右のような参政権の行使によってなしうるものでないことも否定し難いところであり、現実的には、損害賠償の方法によるしかないものである。しかも、このような現実的な救済なくして、将来的・究極的な解決も実効を奏しないものである以上、被告の右反論は採用できないものである。

4  ところで、本件直接請求のための署名をしたもの(請求者)が審査の遅れにより相当期間内に署名の審査を受くべき権利ないしは利益を奪われたことは既に述べたとおりであるが、その結果、右請求者が精神的苦痛を被ったことは、前記説示したところに鑑み、しかも審査の遅れが被告四名の選挙管理委員にあるまじき措置に帰因していることも考慮すれば、容易にこれを推認できるというべきである。

そこで、右加害行為の態様、侵害された権利ないしは利益の内容、被害者(署名をなしたものでありその署名が有効であることを要する)の人数(右有効署名者が四万七一五八名近いことは当事者間に争いがない)等を総合勘案すれば、右被害者の精神的苦痛を慰藉するに足る金員は、各自につきそれぞれ金二〇〇〇円をもって相当と認めるべきである。

原告ら(但し別表(一)および(二)記載の原告らである)が本件直接請求の権利を有し且つそのための署名をなしたものであることは、既に説示したとおりである。なお、原告羽生は本件直接請求の代表者として、他の原告らに比べより多くの精神的苦痛を被ったと主張するが、本件において認められる原告らの精神的苦痛は署名の審査を相当期間内に受けられなかったことに原因するものであり、その署名の価値は、その立場の如何に拘わらず、相均しいものと解されるから、原告らの間に精神的苦痛の差異を認めることはできないし、またその差異を認めることは相当ではない。また被告区は、原告らのうち別表(二)記載の原告らについてその立場を抗争するが、右判示したところからして、本件において右立場の如何を判断する必要はない。

従って、右原告らが、被告四名の前示加害行為により、金二〇〇〇円相当の精神的損害を蒙ったことは明らかである。

四  まとめ

以上の次第で、原告らのうち別表(一)および(二)記載の原告らは被告区に対してそれぞれ金二〇〇〇円およびこれに対する昭和四七年七月二三日(同日が訴状送達の翌日であることは記録上明らかである)から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるというべきである。

第二原告らの被告四名に対する請求について

原告らは、公務員がその職務を行うにつき違法に他人に損害を与え、しかも、右加害行為が当該公務員の故意または重過失によりなされたときには、公務員個人も他人に対して損害賠償責任を負うべしと主張するが、かかる主張(見解)は当裁判所が採ることができない以上、原告らの被告四名に対する請求は失当というべきである。

第三結論

よって、原告らの被告らに対する本訴請求は、以上認定のとおり、別表(一)および(二)記載の原告らが被告区に対してそれぞれ金二〇〇〇円およびこれに対する昭和四七年七月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、右原告らの被告区に対するその余の各請求およびその余の被告ら四名に対する各請求ならびに別表(三)記載の原告らの全被告らに対する各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤原康志 裁判官 山﨑末記 裁判官滝澤孝臣は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 藤原康志)

<以下省略>

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